ついに高校に入ってからあたいの時間がゆっくりと動き出したが、それまでの9年間のギャップを埋めるためには3年間は短すぎた。高校の次のステップ、大学でもその時間を埋めてゆかなければならなかった。
とはいえ、高校での「覚えておきたい事柄」のおかげもあって、自分の中ではだいぶ期待をしていた。このままの調子で行けば、きっと大学を卒業するころには並の人間と同じような振る舞いができるのだろう、そう期待を持っていたのが東京国際フォーラムAでの入学式だった。
大学のクラブ案内で『文藝會』の案内を見たときは、信じていない神に感謝の言葉を唱えた。大学の文芸クラブなのだから、さぞ小説の切磋琢磨ができる、互いに表現力を磨きあえる、そんな仲間たちを得られるものだと思っていた。なにも関連性のないところからつながりを作りだすことは自分には難しいけれども、小説という同じ土俵であれば、自分から何かできるかもしれない、そう信じていた。
けれども、この願いは簡単に破られた。あたいが信じていたような、小説の書く力を伸ばしあおうとか、どう書けば面白くなるのか(人によって面白さなんて違うだなんて、分かり切ったことを指摘されたな、そういえば)なんていう、小説を書くのに役立ちそうな情報交換もなかった。ただ、小説とは関係ない話をするぐらいか、文藝會だというのにアニメや漫画の話。それも決して悪くはない、それがコンテンツの作り方だとか、ストーリーテリングとかいう点で参考になる点があると思うから。でも、彼らからそういった話を聞いた覚えはあたいにはない。
彼らにとって小説はどうでもよい、少なくとも彼らは小説に対して本気じゃない、あたいにはそう思えてならなかった。だからあたいははじめに期待していたことを追い続けないことにした。自分で考えて、自分で学んでゆく。文藝會はあたいの習作の場、つまりは実験場として扱うようにした。当然、所属する身として最低限のことはした。
あるとき、部長交代があって、部としての方向性を定めようという話があった。年最低1作の作品を寄稿するなどといった内容は、正直あたいにとってはどうでもよかった。個人的にはむしろ大賛成だったけれども、どういうわけか、そこで集団を考えてしまった。大学に入って創作の道に踏み外す人たちの受け皿としてその内容は酷ではないか、と。ほかに一人(だけ!)が部長の意見に対して異を唱えて、結局は部長が考えていた方向性とはならなかった。
どうしてあたいは文藝會全体を考えてしまったのか、その時は分からなかったけれども、その数か月後に、その理由が明らかとなった。
学園祭最終日だった。文藝會での学園祭担当に、彼女の友人から、花が一輪、贈られた。それがうらやましくて、苦しかった。
彼女は毎週のようにある学園祭のための会議に参加して、あらゆる手続きを取り仕切ったわけで、相当の苦労をしているのは理解していたし、称賛される立場にいるのは間違いなかった。その年の文藝會ブースの運営はカノジョの賜物だった。
だから、彼女に花を贈られるのは然るべきことというか、それだけでよいのかという思いさえもあった。あたいが羨望や苦痛を感じたのはそこではない。一輪の赤い花が、あたいに現実を突きつけた。
映像や小説において、周りの物体が自分からするする離れていって、真っ黒な空間の中に一人取り残されるような演出がされることがしばしあるが、そのときのあたいはたしかにその状況だった。感じ取ってしまった。
あたいに、ああやってくれるような人は今までいなかったなあ。
たぶん、これからも、ないんだろうなあ。
あたいには小説しかない。小説は努力が表に出るものではない。むしろあからさまに小説こんなに頑張ったのだよー、と言いふらす方が問題である。どんなに勉強したって、技術を身につけたとしても、それを評価する人はだれもいない(せいぜい芥川や直木ぐらいか)。小説の世界は良くも悪くも結果主義、成果主義だ。面白い小説が書けなければ何もかもが無駄に終わる。そういう世界だ。
あたいが作品でまともにコンクールの受賞レースに勝ち残れないようじゃ、一生かかっても評価されない。あたいがどれだけ面白さを追求したって、あたいの作品に関心を持つ人なんてだれもいないのだ。関心がもたれないのは、つまりはつまらないということ。無関心こそ、あたいにたいする最低の評価だ。
あたいから小説を奪ったら何も残らない。いま、だれもあたいの作品に関心を示していない。だから、だれかに見ていてほしい。読んでほしい。
この願いは、その日の帰り電車で、あたいを泣かせた。人目をはばからず、むせび泣いた。死にたいぐらいにつらかった。
それ以後、文藝會に向けて作品を寄稿する気力がすっかり薄れてしまった。『作品数が足りないかも』という声には半ば流れ作業のように紙面を費やすものを提出した。なにも作品数や内容に関する情報がないものには、寄稿しなかった。本当ならば、『必ず』提出しなければいけないという合同誌に対しても、出来れば作品を書きたくなかった。ただひとつ、自分ですべてを取り仕切る個人誌だけは書く気に慣れた。そのせいで読書会をする機会を自ら奪ってしまう形となった。個人誌の読書会はしてもらえない。個人的な集まりとして開催することもできたろうが、あたい以外だれもいない読書会を想像するのはたやすかった。
あたいが予想していたような、順風満帆な大学生活とは程遠かったのは、文藝會にはいってしばらくしてから、小説というあたいの重要な要素を棄てなかったからかもしれない。そうすれば小説に対する上昇志向はなくなって、もっと文藝會というものを楽しめたかもしれない。けれども、それは無理な話だから、つまりはハナからあたいのリアルが充実大学生活は約束されないものだったということとなる。
小説を棄てるにせよ、満足いく大学生活を棄てるにせよ、どっちにしたってあたい自身を何らかの形で殺さなければならなかったわけだ。
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