久しぶりにクラブがらみの真っ黒な内容。
やっぱお風呂場はダメだね、嫌なことしか思い出さない昨今。
おもえば、あたいの忍耐力ってことごとく悪い結果をあたいにもたらしてるんだなーって。勢いが足りないなー、なんてぼんやりと理解。
生きる場所がなければ作ればいい、があたいのスタンスだったと思ってたのに。考えてみれば、ずっと妥協してばっかだよねー、と。文藝會は2年の終わりにはもう限界を感じてたから、その時に飛び出て新しい場所を『作れば』よかったんじゃないかな。思えば、あの瞬間に文藝會が嫌いになったかな。
あたいの嫌いな感情と本を置くスペースを天秤にかけて、本を置くスペースを選んだあたいは小説を書いている人として正しい選択だったのかもしれないけれど。ビジネスとしてはあまりいい選択肢じゃなかったかもね。
人生詰んでる人間があがいても結局は何にもならない、って事だろうけれども。まあ、詰んでるあたいがどこまでできるか、ってところを半ば面白がってはいるのだけれども。
どんどん生きる力が弱まってゆくというか、死ぬ気力もわかなければ、生きる気力もなくなってきていて。
ただし、就活なんて関係ないよ。
あんなの辛いなんて思えない。だって心に傷を与えるわけじゃないじゃん。ただの素性の分からない人が「どう?」って寄ってきて、それを企業は「ごめんなさい」しているだけなんだから。たったそれだけのことに鬱になる人は多分メンタルが弱すぎなんだと思う。いや。弱すぎというか、耐性がないんじゃないかな。まあ、今の世の中、耐性がつくような人は少数だろうけれど。まあ、耐性がない分勢いで無謀なことをできるだろうという需要でブラック企業が育つわけだな。
となると、耐性がある→勢いがない。耐性がない→勢いしかない。なのかな。まさか。ありえん。
横道から戻って。
文藝會という集団が嫌いな一方、本を置くスペースを確保できるという点のためにいろいろ我慢してる、というのは事実。我慢しているというのは主に3年の時代にだけれどね、今はほとんど大学にすら行ってないし。
ま、そんなもん。
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