いろいろと消化していかないとさ、先代のあたいを殺せないと思うから、ときどき抽象的で、よっぽど頭のいい当事者でないと分からないレベルにした話をしていこうかな、と。まあ、関係者には当分の間ばれないだろうし、感情爆発が起きる前に放出しておいた方が後々身のためだと思うし。
前にね、初めてあたいが酔いつぶれたことがあるんよ。
どうしようかなー帰ろうかなーなんて思ってたところで、同輩さんが帰るようなので、ついでに、と。
で、会場から駅に帰る途中になんか話をしたらしいけれど、ちょっと覚えていて覚えていないことも多くて。
ペンネームの衣谷創とにゅんは別人格みたいな扱いだよー、とか、そうしないとやってらんない、とか言ったんだと思う。
それでなんか怒られた。
そういう考え方はやめた方がいい、とか、どんだけ心配してるか分かってない、とか。
酔いつぶれてた時にはテキトーな反応しかしなかったけれどさ、後々考えたらイライラしてさ。
そういう考えはやめろ、とか、心配してるかあたいが分かってない、とかさ。ぶっちゃけ浅いよね。同輩さんはあたいにどういうバックグラウンドがあってそういう思考をするに至ったか、なんて知ろうともしないし、そもそもそんな環境がない。
で、どれだけ心配してるか分かってない、っていうのは、言葉の『弱さ』を分かってない証拠。人を傷つけるための言葉ほど強いものはないけれど、人を癒すあるいは振り向かせるための言葉ほど弱いものはない。それを理解していない。言葉だけ『心配』なんて口にするのは誰にでもできる。じゃあ考えるだけで心配を解消できるなんて、サイコキネシス的なことができるわけがない。実際にこうどうして初めて『心配』を具現化できる。心配を取り除くための実践ができないくせして軽々しく『心配』なんて言葉を使わないでほしい。
しかも同輩さん、小説を書いてるわけだよ。言葉を専門に取り扱う、小説を書いているのに。人のバックグラウンド=登場人物の背景・設定、言葉=表現であるのに、たぶん小説を書くための思考回路ができてないのかも。まあ、その手の方面に関する向上心はない人だから、しょうがないんだけれど。
ただ、同輩さんには同じ方向を向く仲間さんがたくさんいる一方、あたいにはそんな人がいない。同輩さんはこれを勘違いしていると思う。クラブのメンツはあくまで趣味程度、あたいはプロレベルまで実力をつけたい、うまくなりたい。やってる事は同じだとしても、向いている方向がまるで正反対。あの部活に、あたいの仲間はいないんだ。あるいは、同輩さんは自分の環境がほかの人も同様に享受していると考えているのかもしれない。
Qなぜ同輩さんがあのような言動をしたのか?
A皆が皆同じような生き方をしてきた、というふうにでも考えている。価値観の多様性を潜在的に理解できない。
衣谷はそう考えてる。まあ、それも価値観というか考え方の一つだからね。
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