向いてる方向が違うから仲間じゃない、という話に連動して。
一回だけ、部の方針について話し合う機会があったんさ。その時の部長はあたいと同じく『うまくなろう』という考え方で、だから部活としてその方針をとろう、というもの。年1回必ず作品を発表する、とかいろいろ。
あたいはソレにノーと答えたんだよね。考え方が同じなのに否定、っていう矛盾。
あたいの考え方は、うまくなろう、ってことだけれども、それを部活として強いるのはどうか、って考えだったんよ。それに、書こうと思い立つ事すら敷居が高いのだから、よりいっそうハードルを上げても入る人が入らなくなってしまう、という懸念も。
↑上みたいな内容を話し合いのときには言ったけれども、それに加えて、
ちょっとでもうまくなれば、「もっとうまくなりたい」と思うものだと思ってた。
これが真意。書いていけば、最初の1年ぐらいというか、ある程度の水準まではすぐに成長できるものだから、そこからは自発的に「うまくなりたい」という気持ちが生まれるだろうから、それを部活としてブーストさせるのは意味がない、ってね。実際、年1回作品を書いたってうまくなるとは思えないし。
ただ、四年になった今思ってみれば、あたいの考えは間違ってたんだね。
読書会はただの馴れ合い、話すことはキモオタトーク。あんたらがはなすアニメとか漫画に小説をうまくかくためのヒントがあるのに気づいてないのかな。あのクラブは堕ちている。
もとい、そういう原因を作ったのはあたいらの世代だけれど。責任を感じてはいるけれども、もはやどうしようもないところまで来てるから……
これ、どっかで書いた気がするなあ。
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