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にゅん。のにゅん。によるなにか。→衣谷の衣谷による何か。 小説の事とか、いつものこととか、コーヒーの事とか、うつ展開なこととか。
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卒業旅行どうしようか―という話を同じ大学の友人さんとしているわけだけれども。
流れは九州で、さてどこにしようか、と言う話しであたいがだしたのは「高千穂」

考えてみれば、日本神話のスタート地点と言えば高千穂なんだから、ファンタジーを専門だと言い張る身としてはやっぱりフィールドワークは大事だなって。ファンタジー関係でフィールドワークできるってそう多くない気がするからさ(文献資料が多い気がする)。

で、実際どう行くのかな、と言うのを調べてみたのさ。鹿児島空港から車でちょっと行けば登山口につくみたい。片道2時間程度の登山。

ただね、

噴火警報レベル3

という状況に置かれているらしく(気象庁でも確認)、高千穂の天の逆鉾も入山規制エリアに入ってるというじゃないか!

てなわけで、高千穂フィールドワークはとん挫した、というお話。

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There are ways where there is a will.

声にだして読みたい英語。
「意志あるところに道はひらける」

志をもって頑張ればいずれ道はひらけるよ、というありかたーい言葉なのであります。

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コーヒーメーカーのエスプレッソ抽出器、壊れました。というか、壊しました。

事の始まりは、メンテナンス作業なんさ。コーヒーメーカーの内部にたまった石灰分とか水垢とかを一掃するための奴なんだよね。レモン果汁とか酢を混ぜた水で普通の掃除じゃとれないものを溶かし取るわけだけれども、改めて説明書を見たら、いつもはメンテナンスをしてないところもメンテナンスしろという説明があって。

専門的には濾過網って言い方をするらしいけれども、平べったく言えば、コーヒー豆に湯を注ぐジョウロの先っちょみたいなパーツ。円盤状のフィルターで、コーヒー豆の粉末がポンプの方に入らないようにしたり、お湯に圧力をかけるときに偏りが出ないようにする部品。

それを取り付けているネジが、かったいことかたいこと!

十円玉はあられもない姿に曲がってしまって、100円玉で試そうにもねじの溝にはまらない。で、金属加工の類に長けた親さんに救援を求めて、親さんがやったのがハンマーで力を加えて回す、という荒業。

すると、ねじ山が、

とれた。


よくある話で、ねじ山がつぶれる、ってのがあるけれども、ねじ山そのものがぽっきり取れてしまったわけさ。驚いたね。
まあ、その濾過網が取り付けられない以上エスプレッソも作れない、と言うわけで。さくっと熱帯雨林さんにすがった次第。

ただ、最大の問題は、エスプレッソは作れないけれども、レギュラーは普通の作れるということ。レギュラーしか作れないのに、かなりかさばる……切っちゃおうかな……

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間違いなく、311という数字はこの先永遠に日本人に付きまとってくるものとなると思う。


あの時から1年がたったと思うとね、早かったなあと思う一方で、無力だったなあ、とも思うんさ。いろんなことを考えて、いくつかは実践したけれども、やっぱりうまくはいかなかった、少なくともあたい自身はそう評価してる。

あたいには表現しかない。

だからこそ、表現でなにかできないかと考えた。事実は報道に任せればいい。なにか、助けられることを。すぐに頭に浮かんだのは、誰でもそうだと思うけれども、チャリティーぐらいで、小説で一助となると考えればこれ以上ないぐらい本望なことだった。
出版社に脈のない素人にとって、最も効率的に広く資金を集められる環境となると、あたいにはネット市場しか考えられなかったし、とてもじゃないがリアル本を制作してどこかで販売をやるという状況ではなかった。
あたいとしてはいくつかのダウンロード販売サイトと掛け合って、チャリティとしてできないかと模索してみた。あたいだけの作品じゃあ足りない、その時は部員を総動員すればなんとかなると思っていたし、参加した合同誌の主宰者にも話してみようかとも思っていた。けれども、あたいが当時参入していたところではどこもシステム上の都合でできないという答え。どれだけ販売部数を稼いでも、手取りが30%というのはあまりにも乏しすぎた。そのサイトでチャリティ作品を販売する人たちや、募金に応じて作品を送るというアクションを起こした人もいたけれども、やはりダウンロード販売としての利点を生かしたものとはとてもではないが思えなかった。すぐに買える、支援になる、手ごろ。どうしてもあたいの要求にこたえられる場所がなかった。
結局その後、1社だけあたいの求めていることを満たすところがあって、作品をチャリティ物品として出品するに至った。合同誌として人を集めるにはあまりにも時間がなかったので、声をかけるのはやめた。声をかければ、彼らの表現の意識が変わるだろうことは間違いなかったけれども、この点はもったいなくて仕方がない。

あたいは小説を最も商業化された芸術だと考えている。だからこそ本屋がそこらじゅうにあふれて、一般消費者にとってはもっとも身近なものである。化と思えば芸術性をうたう純文学なるものだってある。支援に直結するのは間違いなく商業的な側面。芸術で人は楽しませられるけれども、腹の足しにはならない。まずは小説の商業性が必要だった。だからこそあたいは収益性の高い場所を求めたし、それに見合ったアクションをした。
けれども、時間は経った。確かに今だって商業性、つまりカネが支援につながるのは間違いないけれども、これからは腹以外のところを満たす必要が出てきている。楽しませる必要がある。けれども、本を購入するだけの余裕がないとすれば、やはりそこはネット小説などの、それ自体ではただで得られるコンテンツが重要になってくる。人を楽しませるだけの作品、やはりそこには実力だとか技術が伴うわけだけれども、笑顔を失った人々にほほえみを与えてあげられる可能性は十分に高い。
けれども、あたいのように、面白おかしい話が書けない人、あるいはかけないと思っている人だっている。その人たちはただ指をくわえて原稿用紙を見つめていればいいのかと言えば、そうではない。中長期的に見れば、商業性よりも芸術性の側面が求められる。つまり、「後世に伝える」ための表現だ。なにがあったか、どんな有様なのか。報道は事実を伝えるしかできないけれども、表現であれば適宜脚色して(これは決していいこととは言えないかもしれないけれども)これを経験した事のない人たちに対して恐怖を植え付けることができる。この恐怖こそが、後世の人たちが大災害を乗り越えるのに必要なものに他ならない。
ただし、今は伝える必要がない。だれもがこの恐怖を理解しているだろうし、この恐怖には表現の入り込む余地がない。表現でできるよりもはるかにおぞましい戦慄を報道は提示している。

人々を楽しませながらも、いつか来る「書くべき時」のために今を心に刻み込む。表現者が求められるのは道化としての振る舞いと、この戦慄を心に残す覚悟なのかもしれない。

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追いコンでいただいた煎茶。
すっきりとした味わいはなかなか。

あたい、コーヒーの設備しかないから、日本茶の淹れかたではないんだけど、この手の趣味は試行錯誤がたのしいからこれもいいかな。

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親猫が
仔猫をくわえて
ベランダを伝って
やってきた。

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ヘルメットを。

いままでのはジェットヘルだったのだけれど、バイザーのキズがえげつなくて夜間の運行が自殺行為になってきたから交換した次第。

今度はフルフェイスなのだけれどと、適当なヘルを買ったら、内装のクッションが取り外せないやつだったわけで、あちゃー、なのさ。こりゃあ夏には買い換えだな。

あ、そうそう、仔猫がうまれました。

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今回から通常運転な次第。あーしんどかった辛かった。


とはいえ、バイト先でちょっとやらかしてゲンナリ状態での再開なわけだけれども。クレームまでくると、ねえ……


とりあえず基本情報処理は午後試験にフォーカスを当てた勉強をしている次第。機械語の命令がややこしくてたまらない。「2042h」で一つのコマンドだなんてまぢ信じられない。

あと、体重計を買ったよ。シンプル伊豆ベストな感じの体重計。で、それで体重を量ってみれば……まあ後のことは察してくれ。

そして久しぶりのうれしいニュース。某DiGiket.comのキャンペーンで作品登録したところ、「ご当地おいしいものプレゼント」に当選したよ。あたいが頼んでいたのは、

魚沼産コシヒカリ魚沼三昧

という米だらけセット。魚沼のコシヒカリと言えば一流ブランドだからね。しかも送られてくる可能性のある商品は有機米かもしれないという贅沢ギャンブル仕様。これは下旬の配送が楽しみだす。

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***訂正記事ココカラ********
前回の『だからあたいはあたいをころすことにした』において、花があたいにもたらした事柄について、以下の内容が不足していることが発覚。
  • 自分では諦めたと考えていたのに、始めから期待していたものをずっと期待していた自分に気づいてしまった。
というわけで、これも含めてもらえればと。
***訂正記事ココマデ*********

 小学校から大学までを一通り連載してきたわけだが、最終回として、どうしてこの連載をすることにしたのか、表現が今ではどのようなものに感じているのかを書くこととしたい。

 まずはこの連載をすることにした理由だが、本当はこれを最後の個人誌の内容にするつもりだった。もちろん今まで書いてきた内容をメモとして残していたわけではないけれども、書いたとしてもこの内容をもっと膨らませたり脚色したりしたものになったのは間違いない。
 あたいの人生は「「小学校のアレ」とどう向き合ってふるまってゆくか」が常に解決しなければならないテーマとして存在していた。小学校は逃げるにも逃げられない教協だったがために考えるのもできず、中学校になってようやくその違和感を感じ始めて、ここでついに、自分の根底に流れる重大な問題に気づいたわけである。
 特に小説という武器を得た高校以降、あたいは自分自身を眺めつづけて、どうにかしてアレから逃れようとした。そうして結局、どうすれば逃げられるのかいまだ分からずにいる。けれどもひとつだけ、逃げるためにやらなければならないと思うようになったことがある。
 それが、あたいのつまらない身の上だれかが目にできるような場所にアウトプットすることだった。喋っても活字でもよい、とにかく、誰かの人の目に触れさせればよい。
 あたいの中にうまれたアイディアはアウトプットだけだった。これがあたいに何をもたらすかは全く分からないのだけれども、それ以外にあたいができる手立てはなかった。そのため、プラン自体はだいぶ前からあった。しかし、ちゃんとコンテンツとしてまとめられる自身がなくて、何度もやろうと思ってやらないことが続いた。それじゃあいけないと分かっているから、最後のチャンスである最後の個人誌をこれにあてようとした。けれども、売り上げのことを考えたら、だれも手に取ってくれないと思ったら、立ち直れそうになかった。
 結局個人誌もエッセンス程度に抑えることにした。予想通りの売り上げで胸をなでおろしたのは秘密。
 そうして、卒業式を目前に控えて、アウトプットをしてしまおうと連載をした次第である。

 最後に、あたいが表現する理由について。
 はじめ、あたいにとって小説はボクサーのグローブだった。暗黒時代の元凶にたいして攻撃をするハイリスクハイリターンの武器だった。けれども、高校、大学と経るにつれて、小説に求めているものがどんどんと変化してきた。単なる武器だったのが、自分自身の成長を感じられるもの、努力の結晶となった。努力の結晶が、自分を洞察するためのインターフェースとして自分自身に目線を向けるものとなって、いつしか小説が自分のものではなくなった。ある意味では自分のものだけれども、自分のものではない。
 小説が、表現が、人に読んでもらうものとなっていた。読んでもらって、評価してもらって、そこで初めてあたいは充足感を感じられるようになった。書き終わったとしても、一瞬の達成感だけで、満足を得られない。誰かに読んでもらわないと苦痛を覚えるようにもなった。
 この変化がなにを意味するのかは、読んでもらえたときの感情にヒントが隠されている。ある小説で、感想のコメントを残してくれた方がいた。作品の多くの部分をほめて下さったコメントをよんだあたいは、自分が知らないだれかからその存在、あたいとしての存在を認めてもらえたように感じた。小説がいつしかあたい自身の代理人となっていた。

 あたいは、自分の存在を認めてほしくて、自分がここにいることを知ってもらいたくて、表現を続けているのだと思っている。結局のところ、あたいは人が恋しかったのかもしれない。人の気を引きたかったかもしれない。あたいが書いた作品が読まれることによって、実際はあたいではなくて作品に目が向いているのに、そう思い込みたかったのかもしれない。

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 ついに高校に入ってからあたいの時間がゆっくりと動き出したが、それまでの9年間のギャップを埋めるためには3年間は短すぎた。高校の次のステップ、大学でもその時間を埋めてゆかなければならなかった。
 とはいえ、高校での「覚えておきたい事柄」のおかげもあって、自分の中ではだいぶ期待をしていた。このままの調子で行けば、きっと大学を卒業するころには並の人間と同じような振る舞いができるのだろう、そう期待を持っていたのが東京国際フォーラムAでの入学式だった。

 大学のクラブ案内で『文藝會』の案内を見たときは、信じていない神に感謝の言葉を唱えた。大学の文芸クラブなのだから、さぞ小説の切磋琢磨ができる、互いに表現力を磨きあえる、そんな仲間たちを得られるものだと思っていた。なにも関連性のないところからつながりを作りだすことは自分には難しいけれども、小説という同じ土俵であれば、自分から何かできるかもしれない、そう信じていた。
 けれども、この願いは簡単に破られた。あたいが信じていたような、小説の書く力を伸ばしあおうとか、どう書けば面白くなるのか(人によって面白さなんて違うだなんて、分かり切ったことを指摘されたな、そういえば)なんていう、小説を書くのに役立ちそうな情報交換もなかった。ただ、小説とは関係ない話をするぐらいか、文藝會だというのにアニメや漫画の話。それも決して悪くはない、それがコンテンツの作り方だとか、ストーリーテリングとかいう点で参考になる点があると思うから。でも、彼らからそういった話を聞いた覚えはあたいにはない。
 彼らにとって小説はどうでもよい、少なくとも彼らは小説に対して本気じゃない、あたいにはそう思えてならなかった。だからあたいははじめに期待していたことを追い続けないことにした。自分で考えて、自分で学んでゆく。文藝會はあたいの習作の場、つまりは実験場として扱うようにした。当然、所属する身として最低限のことはした。

 あるとき、部長交代があって、部としての方向性を定めようという話があった。年最低1作の作品を寄稿するなどといった内容は、正直あたいにとってはどうでもよかった。個人的にはむしろ大賛成だったけれども、どういうわけか、そこで集団を考えてしまった。大学に入って創作の道に踏み外す人たちの受け皿としてその内容は酷ではないか、と。ほかに一人(だけ!)が部長の意見に対して異を唱えて、結局は部長が考えていた方向性とはならなかった。

 どうしてあたいは文藝會全体を考えてしまったのか、その時は分からなかったけれども、その数か月後に、その理由が明らかとなった。
 学園祭最終日だった。文藝會での学園祭担当に、彼女の友人から、花が一輪、贈られた。それがうらやましくて、苦しかった。
 彼女は毎週のようにある学園祭のための会議に参加して、あらゆる手続きを取り仕切ったわけで、相当の苦労をしているのは理解していたし、称賛される立場にいるのは間違いなかった。その年の文藝會ブースの運営はカノジョの賜物だった。
 だから、彼女に花を贈られるのは然るべきことというか、それだけでよいのかという思いさえもあった。あたいが羨望や苦痛を感じたのはそこではない。一輪の赤い花が、あたいに現実を突きつけた。
 映像や小説において、周りの物体が自分からするする離れていって、真っ黒な空間の中に一人取り残されるような演出がされることがしばしあるが、そのときのあたいはたしかにその状況だった。感じ取ってしまった。
 あたいに、ああやってくれるような人は今までいなかったなあ。
 たぶん、これからも、ないんだろうなあ。
 あたいには小説しかない。小説は努力が表に出るものではない。むしろあからさまに小説こんなに頑張ったのだよー、と言いふらす方が問題である。どんなに勉強したって、技術を身につけたとしても、それを評価する人はだれもいない(せいぜい芥川や直木ぐらいか)。小説の世界は良くも悪くも結果主義、成果主義だ。面白い小説が書けなければ何もかもが無駄に終わる。そういう世界だ。
 あたいが作品でまともにコンクールの受賞レースに勝ち残れないようじゃ、一生かかっても評価されない。あたいがどれだけ面白さを追求したって、あたいの作品に関心を持つ人なんてだれもいないのだ。関心がもたれないのは、つまりはつまらないということ。無関心こそ、あたいにたいする最低の評価だ。
 あたいから小説を奪ったら何も残らない。いま、だれもあたいの作品に関心を示していない。だから、だれかに見ていてほしい。読んでほしい。
 この願いは、その日の帰り電車で、あたいを泣かせた。人目をはばからず、むせび泣いた。死にたいぐらいにつらかった。

 それ以後、文藝會に向けて作品を寄稿する気力がすっかり薄れてしまった。『作品数が足りないかも』という声には半ば流れ作業のように紙面を費やすものを提出した。なにも作品数や内容に関する情報がないものには、寄稿しなかった。本当ならば、『必ず』提出しなければいけないという合同誌に対しても、出来れば作品を書きたくなかった。ただひとつ、自分ですべてを取り仕切る個人誌だけは書く気に慣れた。そのせいで読書会をする機会を自ら奪ってしまう形となった。個人誌の読書会はしてもらえない。個人的な集まりとして開催することもできたろうが、あたい以外だれもいない読書会を想像するのはたやすかった。

 あたいが予想していたような、順風満帆な大学生活とは程遠かったのは、文藝會にはいってしばらくしてから、小説というあたいの重要な要素を棄てなかったからかもしれない。そうすれば小説に対する上昇志向はなくなって、もっと文藝會というものを楽しめたかもしれない。けれども、それは無理な話だから、つまりはハナからあたいのリアルが充実大学生活は約束されないものだったということとなる。
 小説を棄てるにせよ、満足いく大学生活を棄てるにせよ、どっちにしたってあたい自身を何らかの形で殺さなければならなかったわけだ。

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衣谷 創
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男性
職業:
プログラマー見習い
自己紹介:
とりあえず、メンタルの波が激しい今日この頃。
小説を書いてます。素人ながら。
コーヒーを飲んでいます。素人ながら。
サークル「にの、にの?」の人だす。

ソフトウェア開発企業に就職しました。

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