てなわけで、あたいが個人誌のアレ(加筆)で応募した太宰治賞の応募総数が発表された次第。
1212編
まあ、コンクール自体の質を測るバロメータとしては、まあまあなほうだよね。
こういうのは多い方がいいって考えかも知れないけれども、それは間違っていて、多いのは多いので問題なんさ。ただ、ブランド力を測るには効果があるけれど。電撃なんか大量に送りつけられる好例だけれども、あの中の9割はカブリなんだよね。ちょっとでもカブリがなければ選考は通過できる。まあだからといって、採集に残れるかどうかはまた別の話だけれども。
少ない、っていうのは、実は応募者のレベルがただならぬ高さであることもあるんよ。ほぼプロにちかいアマチュアが集まる賞なんかがあるから、そういうところは必然的に少なくなってくる。あとは、ジャンル的な縛り。経済小説縛りの賞なんかは、たしか400編ぐらいだけれども、基本的には全員が経済を語れる人っていうトンデモナイ高度なコンクールだから、生半可な薀蓄だと手が出ない。そういう人がノンジャンルの『すばる』とかに流れるという構図。そもそも、作品が集まらない上に質が悪いなんて、コンクールとしてやっていく意味がないから、うん。
というわけで、1000編というのは、文学賞の競争においては基準となる母集団、ということ。
特に太宰治賞のいいところは、一次選考から最終選考結果まで、全部が公開される、ってことだね。
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